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何が生まれる!?おにぎり×ベンチ
おにぎりベンチの壁には、大きな木が描かれています。さまざまな人が制作に参加し、日々〝進化〟しているという制作の現場で、この取り組み「アートインライフプロジェクト」をサポートするアーティスト・松下愛さんが今思うことは。
壁に描かれた大きな木。大小様々、カラフルな点で描かれている
こちらを向いてほほえんでいる松下さんと菅原理事
松下 愛さん/細密画家「こどものアトリエ」主宰

細密画家として活動する一方で、年齢や障がいの有無に関わらず、子ども一人ひとりが対等に、自由に表現できる場「こどものアトリエ」を主宰する松下さん。松下さんが思う「アートの持つ力」について聞きました。

自由って難しい?

菅原 この壁の木も、だいぶ色づいてきましたね。

松下 点描画の手法を応用して、さまざまな素材に塗料を付け、スタンプのように壁に押し付けて色を重ねています。最初はスポンジ状の耳栓と、ペットボトルのキャップを使おうと思っていました。でも進めていくうちに、そう決めずに、いろんなもので可能性を試してみたいと…。

菅原 (置いてある素材の一つを指して)これはベッドやテーブルなどに付けて使う緩衝材では?

松下さんの手が緩衝材を握って壁に押しつけている。

松下 そうなんです。ある職員の方が、これ使えませんかと持って来てくれたもので、使ってみたら真ん中に穴が開いたような面白い形になって、これはいいぞと。それに握りやすくて長さもあるので、高齢者の方や車いすの方も使いやすく、すごくいい素材になったんです。そんなふうに皆さんがいろいろ提案してくださって、ボールを使ってみたり、顔を描いてみたり、創作の幅がどんどん広がっています。当初はここまで想定していませんでした。

菅原 そうなったきっかけのようなものはあったんですか。

松下 子どもたちが手形をつけてからだとおもいます。最初は「点描画=丸いもの」という意識があったんだけど、子どもの手が入ってから “壊してもいいんだ、自由でいいんだ”みたいな気運が生まれて。

菅原 これからどうなっていくんでしょうね。完成はいつごろなんでしょうか。

松下 壁面の板地が(塗料で)見えなくなるまでですね。今は背景となる部分を養生テープで覆っていますが、はがしたときに木の輪郭がはっきり出るように。

菅原 なるほど。それにしても、こちらから指示を与えるのではなく、誰もが自由に色や画材、表現方法を選んでいながら、木というひとつの形ができていくのはすごいです。松下さんは自由にやる、ということに大きな価値を置いていますね。

松下 こちらが色を決めてしまって、指定した形どおりに、はみださないように塗ってね、と言えばきれいに早く仕上がりますが、それでは参加した人にとっては単に“作業をこなした”という結果が残るだけ。本当の意味での描いた喜びや達成感は得られないように思うのです。私が主宰する「こどものアトリエ」ではいつも、この子にとって創作する価値はなんだろうと考えます。“私はこれを描いて面白かった”という体験を一番大切にしたいと思っています。

菅原 とはいえ“自由に”って、旗を振る側にとっては難しいと思うんですよ。松下さんはみんなの自由な思いや行動を促しながらも、上手に関わってバランスを取っているんだと思います。

松下 私自身も迷いながらですよ(笑)。ここで最初に制作した「モザイクの木」は、障がいのある子どもたちが中心になって描いてくれて、すごくいいものができたと思っていますが、ベースとなるところは大人が作ったので、それも子どもたちにやってもらえばよかったなと後で思ったり。

扉を横切っている枝の写真と壁から天井まで伸びている木の写真
▲「モザイクの木」は、相談室やトイレの扉も関係なく枝を伸ばしている。

菅原 この絵、まさか天井まで枝を描くとは思ってなかったので、見たときは驚きました。

松下 菅原さんが自由にやっていいよと言ったから(笑)。

菅原 いや、確かに言いましたが(笑)。正直、制作中はどうなることかと心配したこともありましたよ。でもそこで私が口を出してしまったら、ここは自由な場ではないとみんなに宣言していることになってしまう。それは絶対にいけないと思っていました。

松下 表現って、基本的に間違いということがないと思うんです。制作の過程で失敗した、と思っても、それがさらに良くしてくれる材料になったりする。全然乗り越えていけるから。

菅原 ある種混沌とした中から一つの形が生まれる様は、すごくおにぎりベンチらしいなと思って見ていました。結果、すばらしいものになりましたね。

マスクを着用して話している菅原理事。手前には松下さんの後ろ姿が見える

“期限”の枠を外して

菅原 今制作中の「点描画の木」は、菅原病院に入院している人や施設の利用者、てとてのたまご(保育園)の子どもたちに職員と、本当にいろいろな方々が参加していますね。

松下 こんなスケールでの創作は私も初めてなんです。法人全体、いろんな人が関わって試行錯誤する中で、それぞれが影響し合って、作品がどんどん進化していく。来るたびに絵が変わっていて、私自身もすごく楽しくてワクワクしています。

菅原 お話を聞いていると、先ほどこの絵はいつ完成するのかという問いに、時期ではなく「色を塗りつくすまで」と答えられたのは、なんだかこの活動のとても本質的なことのように思えますね。期限を決めないというのは。

松下 期限って、外的な都合ですものね。表現の場では、それに合わせるようなことはしてはいけないなというのはずっと思っていて。

菅原 松下さんがそのような思いを持つようになった原点ってなんなのでしょう。

松下 以前、ある学校で美術を教えていたときに、障がいのある子どもたちの表現に触れて、もうすごいものを見てしまったなという思いがありました。子どもたちはすごく純粋な世界を持っていて、ある一つのものにこだわり続けてそこから何かを生み出すんです。延々とやるんです、1時間も2時間も。それを見て、本当にこの人たちの世界はなんて豊かなんだろう、こんな時間の過ごし方を人間はできるんだって、衝撃を受けました。私たちはそれに共感し、認めることが絶対に必要だと思うんです。でも社会の規律や常識を教える教員の立場だと、その子の表現活動は問題行動と見なさなくてはならないときがある。教員である自分は「もう時間だからやめて、今そういう時間じゃないから」と、その子に言わなくてはならないんです。私は彼らの本音に寄り添い、向き合うことができなかった、という大きな後悔がありました。その経験が「こどものアトリエ」につながっているのかなと思います。

菅原 私は、松下さんはその子たちとちゃんと向き合っていたんだと思いますよ。子どもたちの可能性を見出し、伸ばしてあげたいと思うのは本当の教師であると思います。松下さんのそうした思いや姿勢が、おにぎりベンチの理念─自分の内面に触れ、対話し、結果よりも過程を大切にする場でありたいという思いと共鳴するものを感じて、ここで一緒に何かやりたいと思ったんです。今、松下さんやプロジェクトに賛同する方々が頑張ってくれているおかげで、この壁画が完成に近づくにつれて、みんなとつながる橋が架かろうとしているように感じます。

縁側にしゃがみ、ほほえみながら足下の段差を指さしている松下さん
▲「根っこはここに(笑)」と松下さん。

思いは外へ向かう

菅原 松下さんはこれから、どんなことをやってみたいですか。

松下 ここでやりたいことはいっぱいあります。美大で染織を専攻された職員の橋本さんと一緒に、みんなで染め物をしてみたいですね。あと、木の“根っこ”をやりたいです。

菅原 根っこ?

松下 はい。この壁画、外からは見えにくいでしょう。それで、外の縁側に、この壁画の木の根っこが見えていたら、通りがかる小学生が気になるんじゃないかなって。

菅原 そっちにいきますか…!いよいよ外に向かうんだ。

松下 ここへ入るきっかけを作りたくて。染め物でのれんを作ってもいいですよね。のれんって、くぐってみたくなりませんか?

菅原 面白いアイデアですね。アートってなんだかすごくオープンなものに思えてきました。例えばCLSすがはらの敷地全体を使うとなったら、どんなことをしてみたいですか?

松下 この前、ちょうどそんなことをプロジェクトメンバーと話していて、持ち運べるパネルをアトリエに見立てて、誰でも描けるように屋外に置いてみたら面白いなと。患者さんや地域の人に、描いても、見ても楽しんでもらえるんじゃないかな。そういうモニュメントのような、みんなが関われる、地域になくてはならないものができたらいいですね。これがCLSすがはらだよね、といわれるような、象徴的なものを。

菅原 おにぎりベンチを当法人が“外にはみ出していく”その足掛かりにしていきたいですね。


ひとくちコラム Art in Life

医療法人CLSすがはら 専務理事 菅原知之

先日、社会的処方に関する取り組みを様々な場面で実践しておられる西智弘先生(川崎市立井田病院 腫瘍内科・緩和ケア医師)に、当法人において講演していただきました。その際に、社会的処方とは第三者が当事者に何らかの役割(存在価値)を与えるのでなく、その人自身の個性や経歴、経験などに基づき持っている可能性を、自ら発揮できるようなつながりづくりをサポートすることだと述べておられました。

「自分の可能性を発揮できる場」を実現するには、いくつかの重要な要素があります。一つは、信頼関係。何かを発言しても否定されることはないと心理的に安心できること。もう一つは、自分の心の内に向き合うプロセス。自分が好きだったこと、自分が関心を持っていることなどを認識するということ。

こうした要素において「創作」は非常に有効であると考えられます。何か答えを探すわけでもなく、自分が思ったり、感じたりしたことをそのまま表現してよいし、それで誰かに評価されるわけでもない。自分が創り出したものを見る時間は、自分の中にある思いを見つめる時間となります。

誰もが関わることができ、そこに安心安全な場が存在し、他者や自身と対話する機会を創出するための「創作」。社会的処方を進める上でのある種「基盤」のような役割を果たしていくのではないかと思います。

数人で何かの作品を制作している写真。楽しそうな雰囲気が伝わってくる